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スペシャル対談【第1回】子どもの夢実現のお手伝いをしたい

湘南ベルマーレ 反町 康治監督 プロフィール

1964年3月8日生まれ 埼玉県出身
慶應義塾大学卒業後、1987年より全日空でプレー。1994年にベルマーレ平塚に移籍しプロ選手になる。
1997年の現役引退後、欧州で学び、2001年にアルビレックス新潟の監督に就任。2004年にJ1昇格へと導く。
2006年にU-21(後のU-23)日本代表監督に就任し、2008年北京五輪出場。A代表のコーチも務める。そして2009年、古巣であるベルマーレに監督として復帰。就任1年目でチームを11年振りのJ1昇格へと導いた。

上関 康樹理事長 プロフィール

上関 康樹/全国共済神奈川県生活協同組合 理事長
1954年横浜生まれの横浜育ち。大学卒業後、金融機関勤務を経て、平成6年12月、全国共済に。
生粋の浜っ子で、神奈川への想いはひと一倍、そして未来の神奈川を担う子どもたちへの愛情と責任も感じていて、おもに子どもたちをどう支援していくかを考えている。
趣味はアンティークと自転車。週末はロードサイクルで走ることも。

いじめや不登校、虐待など、子どもを取り巻く状況が悪化し続けているいま、大人に求められているものは何か。
「助け合い」の精神で生活を応援する全国共済の上関康樹理事長と、スポーツを通じて社会貢献を考えるJリーグ湘南ベルマーレ反町康治監督が熱く語り合いました。
(司会及び記録:よこはまチャイルドライン徳丸のり子氏)

子どもの夢実現のお手伝いをしたい

司会

今の子どもたちを見ていて、どう思われますか。

反町

私の子どものころは、ザリガニやセミを採ったり、川で遊んだりと自然のなかで遊んでいましたが、今の子どもたちは大人がつくった空間で遊ぶことが多く、自然のなかで思い切り遊ぶということが少なくなりましたね。

上関

そうですよね。子どもが遊ぶ環境は激変しましたね。今は、公園でもボールを蹴ってはいけないとか火を使ってはいけないとか、制約が多いですよね。ほんとうに「子どもの遊び場」といえるのでしょうか。

サッカーは遊びの延長だった

反町

今の子どもたちは、大人が与えた施設、環境でしか遊べない。それはサッカーでも同じなんです。私たちのころは、サッカーは「遊び」の延長でした。でも、今は最初から「スポーツ」ですよね。

上関

そう。メキシコオリンピックで彗星のように釜本選手が現れて、それはそれはかっこよくて。サッカーに俄然、注目が集まり、私もクラブ活動とは別にボールを追いかけはじめました。昔はユニフォームなんてなくても、みんなでボールを蹴っていたし、ルールもやっているうちに自分たちで決めていましたね。サッカーをやって遊んで、楽しくて楽しくて……。

反町

今は、まずルールありきですし、ユニフォームも着て、「やっている」というより「やらされている」って感じですね。もちろん、みんなサッカーが好きだからやっていて、サッカー少年は増えているので、悪いことではないんですけどね。ただ、サッカーは独創性を重んじるスポーツで、自分のアイデアとか自由さが活きてくる。
例えば、野球は打ったら1塁に走らないといけませんが、サッカーはコートの中のどこを走り回ってもいいわけですしね。そういう創意工夫となると、やっぱり「遊び」のなかで培われた能力ってすごいと思うんです。

すりきれるまでボールを蹴っていた

上関

ちょっとお聞きしたいんですが、監督はどういうきっかけでサッカーの道に進まれたんですか。

反町

私の小さい頃は世の中野球が盛んで、私もキャッチボールをやっていましたが、小学校2年生のときに静岡県の清水市に引っ越して、サッカーにはまりましたね。すぐに地元の小学生のチームに入り、もう夢中になりました。清水市にはいい指導者がいて、街起こしとしてもサッカーに力をいれていたんですね。毎日毎日、真っ暗になるまでボールを蹴っていました。それこそ、ボールがパンクするまでね。外側の皮は破れ、内側のゴムがふくれてすりきれるまで、ボールを追いかけて……。とにかく、「うまくなりたい一心」でしたね。
じつは、そのころあこがれていた選手がいたんです。その選手とは……。

湘南ベルマーレオフィシャルフリーペーパー「MARE」の続きはここから

反町

その選手とは、オランダのヨハン・クライフです。現在は、あのFCバルセロナの名誉会長で、オランダ史上最高の選手といわれています。60年代後半から70年代にかけて世界のフットボールシーンを席巻し、欧州年間最優秀選手賞(バロンドール)を3度受賞するなど、とにかくすごいヒーローで、かっこよくて、彼のようになりたくて無我夢中でしたね。

上関

私は子どものころ、柔道をやっていたのですが、それとは別にやっぱりボールも蹴っていました。当時はサッカーボールがなくて、バレーボールで代用していました。どういうわけか屋上でサッカーをやっていたんですが、学校のすぐ隣に川があって、よく川の中にボールが入ってしまう。みんなで探しに行ってもみつからなくて、よそのクラスのボールを持って来て、クラス名がわからないようにボールを塗りつぶしてやっていました。4回目に校長先生に呼び出されて叱られましたが……、いやあ楽しかったですね。みんな必死でした。

いい指導者にめぐりあえた

反町

サッカーをやって楽しかった思い出といえば、やっぱりタイトルをとったことです。小学校のときは、県大会優勝に続き、全国大会も優勝することができました。サッカー漬けの日々のなかで、燦然と輝く思い出ですね。
高校は静岡県立清水東高等学校に進学。もちろんサッカーをやっていましたが、当時はサッカーだけをやっていても食べていける時代ではなかったので、勉強も手を抜くことはありませんでした。当時監督だった勝沢先生の方針は「文武両道」。先生は厳しくて、よく殴られもしましたが、親身になって生徒の将来も考えてくれました。私自身、サッカーで食べていこうなどとは思っていなかったので、受験勉強もやり、一浪して大学に行きました。今思うと、ほんとうにいい指導者に巡り会えたと思います。現在、私も指導者としてやらせていただいていますが、勝沢先生をはじめ、いろんな人に教えられたことが、すごく生きていますね。

上関

やっぱり、大人は子どもを守らなければなりませんよね。私の息子は身体が小さくて、いつも一番前。転校していじめられたこともあります。でもボクシングを少しやっていたんです。当時、息子に言っていたのは「ひきょうなことはするな」ということ。ある日、けんかをした時のことです。相手が3人がかりだったので、ボクシングのアッパーを出して、けんかに勝ったんですね。そうしたら、校長先生が家に来て、「けんかはしていいけど手加減してください」と。先生はあまり子どものことは見ていないなあ、と思いました。娘は中学校のとき、ブラスバンドをやっていて、楽器が古くなっていたので、担当の先生に「直してください」とお願いしたらしいんです。そうしたら、「じゃあ、10万円持って来い」と先生が娘に言ったそうで、でも娘は親に何も言わなかったんです。すると友達のお母さんが「許せない」と怒って、うちに電話くれた。そこで、私は学校に話に行きました。「おかしいでしょう」と。すぐに、校長先生と担当の先生が謝りにみえましたね。私はそのとき、「子どもが悪かったら殴ってもいいけど、おかしいことはやめてほしい」と話しました。親は子どもを守らなくてはなりませんからね。

みんなで地元を盛り立てていきたい

反町

そうですね。私は指導者として選手にまず、ひとりの社会人としてやるべきことを求めます。サッカーだけやっていればいいのではなく、ファッションやヘアスタイル、挨拶にも気を配るように話しています。子どもは大人のマネをしますからね。たとえば、大人がタオルを首に巻いていると、いつのまにか子どもも巻くようになりますし。子どもたちに見られているということを意識する、それが選手の心構えではないでしょうか。

上関

まったくそのとおりだと思います。「子どもは未来」です。だから、大人は鏡でなければならないと思います。

反町

私の夢は、もちろん湘南ベルマーレを強くして、全国的に知られるようなチームに育てていきたいのですが、同時に子どもたちの夢も応援していきたい。子どもの夢実現のお手伝いをしたい。エスコートキッズも前座試合も、また巡回授業などもクラブとしてそのためにやっているんですね。プロチームとしては、子どもたちのあこがれの存在でいられるように努力していかなければなりませんし、また同時に子どもと同じ目線に立つことも重要です。子どもたちと直接触れ合いながら、子どもたちを育み、いつかこの湘南地域出身の選手だけのチームをつくれるとうれしいですね。

上関

みんなで一緒にやっていきましょう。地元でね。わたしも、神奈川県で全国共済を一番にしたいですね。

司会

こうしていろんな組織がコラボレーションすることで生まれる活力を大切にしながら、みんなで神奈川県を盛り立てていきたいですね。
今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。